2011年8月25日木曜日

小川家の祖先

先日、お盆に実家へ帰った時に、英治おっちゃんという、私の祖父の義理の弟の家に挨拶をしにいった。
このおっちゃん、もう84歳くらいになるんだが、おっちゃんにまつわるいろんな話を教えてくれた。
このおっちゃんのお父さんと、うちの万作じいちゃんのお母さんが確か兄弟で、英治おっちゃんと万作じいちゃんはいとこ同士の関係になるらしい。
今の荒切川の目の前にある小川家(実家)は、万作じいちゃんの本当の家ではなく、もともと西の浜に近いところに生家がある。万作じいちゃんも英治おっちゃんもそこで兄弟のように育てられた。ちなみに、そこの家のおばあちゃん(万作じいちゃんの実母)がマンばあさんという人で、自分が苦しくても人に尽くしなさい、という心の広いばあさんだったらしい。
しかし、万作じいちゃんは三男で、親戚にあたる川の近くの小川家に養子として出されることになる。この時、じつは小川修とかいう名前の万作じいちゃんの兄が先に養子にくるのだが、戦死してしまったので、万作じいちゃんが代わりに来ることとなった。その家(今の実家)は、もともとじいさんが大工をしていたらしく、木材の運搬などで川の目の前のほうが都合がよかったこともあって、川沿いに家があった。そのじいさん、3男で自分で何とかしないといけなかったことから、大工を始めたらしいんだけど、腕も確かで多い時で20人ばかりが家を出入りして、10人くらい若い人たちが住み込みで修行していたらしい。今でも何件か残っているところがあるらしいんだけど、まぁ、器用な人だったようだ。
一方、その奥さん、エイばあさんも面倒見のいい人だったらしいけど、商売人の奥さんだし、大人数の面倒も見ていたくらいだから、人を見る目が厳しかったらしい。
一方、政江ばあさん方は、ばあちゃんのお母さんは早くに亡くなって、静江さん(長女)がお母さん役として家族全員の面倒を見ていた。静江おばさんのことを、しずえおっかん、略してしおっかんと呼んでいた。この人は、結局、結婚することなく、一生家族の面倒を見続けることとなる。ここのじいさん(政江ばあちゃんのお父さん)が、三多(さんた)じいさんという人で、さんたさん、さんたさんと呼ばれていたらしい。ここのじいさんも面倒見がいい人だったのだとか。
つらつらと書いてみたが、これは小川家の一部でしかないので、これから先、付け足していきたいなぁと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿